esperanza

コーチングやクリフトンストレングスについて徒然なるままに

こんな時どうする?!~事実はひとつ

#その後の言語化チャレンジ Day38。
20日間連続更新以降も、今途切れるのはもったいないとあの手この手で更新を続けているブログですが、ご覧いただきありがとうございます。

昨日は、コーチの先輩方とコミュニケーションの勉強会に参加しました。

テーマはこんなときどうする??(何日か前に同じようなネタを書いたような)

こんな時どうする??

設問は、施設の責任者としてどうするか考えて話す

登場人物は
これから関わりを持つであろう小3の男の子
上記の子の保育園年中組の妹
2人の母親
施設を利用している他の子どもたちと保護者
施設で働くスタッフ

入園希望の小3の男の子が見学に来るけれど、今まで接したことがないタイプの子で、妹を率いて割と自由気まま、破天荒に振る舞う。スタッフからの指示も聞けない様子。
先に入園している他の子どもたちは初めて見るタイプの子に怯えて「あの子やだー」と逃げてしまって・・だけど、当の男の子たちの母親の態度は我関せず(に見える)で、子どもとあまり関わろうとしていない(ように見える)

同じ事実を見ているけれど

受講していた5人それぞれが考えをシェアしました。
繰り広げられた事実は上記の一つ。
同じ事実を聞いているけど、頭の中で考えたことが違うのが面白い。
母親に寄り添った態度で家での様子等を聞こうとする人
話しの中に男の子と妹の話が同じ割合で出てくるように聞こえる人
丁寧なアプローチで関わり、施設で働くスタッフにどう思うかを聞こうとする人
順序だてて話し、管理者として判断を下すアプローチが見えるかのような人
どこか俯瞰した質問(ここでの様子をどう見てた)と母親に聴き、判断の材料を集めようとするような様子の人

・・・などなど、事実は一つのはずなのに、人の数だけ見ているものも違い、感じ取るものも違い、表に出すかかわりも違うのが面白い。
まるで、世の中にこれが正解!と言えるものがないかのようで、自分の価値観が絶対正しいはないよねと改めて思いました。

もし、各々の目を変えることが出来たら・・・
面白くもあるけど、見えるものの違いに酔いそうだ。

私は話しながら、我関せずの母親への調和性®的ないらだちが「今ここで起こっていることをどうみてました?」に反映されたかなと感じました。
何気ないところに、価値観が現れているかもしれませんね。