esperanza

コーチングやクリフトンストレングスについて徒然なるままに

「すみません」という意味

今、月に1回コーチ仲間の有志とコミュニケーションの講座に参加しています。

元々平日のお昼間に開催されてて、「SNSでシェアされるたびその雰囲気に惹かれて参加したいと思っているけど昼間は難しい」と、主催者の方に伝えたところ平日の夜開催してくれることになりました。(ありがとうございます!)

そこでは、伊藤守コーチの「コミュニケーション100の法則」をテーマにお話し会をしています。

今回気になったのは・・・下記のところ
引用(伊藤守著 コミュニケーション100の法則 No.28)

>あなたの中に、相手を操作したいという気持ちはなかっただろうか?
>たとえ、それが善意からのものであったとしても

>愛や幸福を手に入れるために、自分の安全を確保するために、他人を操作すると自己不信に陥りますよ
(引用ここまで)

相手を操作する??

私が気になったのは、「(善意からの気持ちで)相手を操作」という行動と、解説にある「安全を確保する」という目的。
この行動と目的ってどう繋がるんだろう??って分からなかったので、講座で取り上げてもらいました。
考えていて思い出したのは、私がこれまで発してきた「すみません」と言う言葉。
私は今まで、自分が必要ない時も「すみません」という癖があるなーって振り返っていたんです。言ったあとで「必要あった??」「自分を下げ過ぎじゃない?」って。

すみませんということで何が得られているのか?
何をしようとしていたのか??
・・・と考えた時、心の何処かに「一応は悪いことはわかっているからすみませんと言っている。下手に出ていると分かってもらった上で私の欲求をとおしたい」という気持ちだったり、
「非常識な人じゃない」と伝えたい、なおかつ、「今回は無理をとおしたいんだ」という気持ちが根底にあることに気が付きました。

考えていて、「あ、これだなあ」と。
「すみませんねー」と言うことで、無意識のうちに自分を安全なところにおいていたんですね。

もっと受け取りやすい言葉を選ぶなら

休みを取ったあと、同僚に「すみませんでしたー」というのも良いんだけど、時々なんとも言えない顔をされる時がある。
そんなときは「ありがとうございます」を選ぶようにしています。
自分が言われてどう思うかを考えると、確かに「ありがとう」のほうが受け取りやすい場面があるなあと思います。

「すみませんをやめよう!キャンペーン」をとおして色々考えました。