esperanza

コーチングやクリフトンストレングスについて徒然なるままに

ある日介護がやってくる

ブログの更新頻度が落ちてました。

4月以来何かに打ち込もうにもどこか気掛かりを抱えていて打ち込みきれない自分がいましたが、今日はその話をぐだぐだっとしようかと思います。

強皮症による血行障害?!

4月2日母が入院しました。

3月半ばから足が腫れ痛みが強く、動くことがだんだん出来なくなるほど痛みは増しました。
痛さの原因が最初分からず、いくつかの病院を淡転々とし検査を繰り返し、かかりつけ医に紹介状を書くよう頼み込み、ようやく入院できたかとほっとしてましたが、ここからが一大事でした。

病院に入れば快方に向かうと信じてましたが、点滴治療の甲斐なく血行は戻らず指先の壊死という形になり足を切断するという選択を迫られました。

診断書に強皮症による血行障害による壊死と書かれてました。

最初足指の先だけでしたが、予想に反し壊死の範囲が広がりました。
指先だけの切断で済まなかった。
早く入院出来ていれば..という気持ちもあるし、ここまで早く・・2週間も経たず悪化したことに対する戸惑いも大きかったです。


コロナ禍の入院の戸惑い

面会は絶対禁止で会うことは出来ませんでした。最初4人部屋でしたが、痛さで動けずほぼ部屋にいるようで電話もできませんでした。連絡手段はLINEだけ。

何がキツいかというと、言葉以外の情報が全く無いことです。

例えば面会出来ていたら、
点滴の数が増えているなあ、減っているなあ、なんか痩せたなあ、看護師さんはこんな感じで接するのか?あれ?こんな言葉を発した時看護師さんの表情が曇ったなあ、本人が思うより重い症状なの?!
こんな感じに普段言葉以外の情報も私たちはキャッチしてるけれど、会えないことでそれらが一気に遮断される。これは正直厳しいです。
今、感染対策で個室にいさせてもらっているので、電話ができることビデオ通話ができることがありがたいです。

家族が出来るサポート

母は昭和25年(1950年)生まれの70歳です。退院後は生活に不自由な所もたくさんあると予想され、今後は介護保険のお世話になるかと思い、5月頭認定の申請を出しました。

早めに申請を出して認定を受けた場合、介護保険で自宅の改修費用に補助も出るので、状況が変わりそうであれば早く動くことをおすすめします。
自宅の方も一部ですが、手すりをつけるなど改修をしました。

その後の経過

手術はしたものの、検査して予想していたよりも血行が悪かったせいか傷口がひっつきませんでした。その間に感染症を起こし、さらに切断することを迫られました。その時に下腿切断(ふくらはぎでの切断)または、踵を残して切断するかを迫られました。

医療関係者の方からは義足を作れば歩けるようになる可能性を示唆され下腿切断を勧められましたが、本人の踵を残したい気持ちは強く、2回目も踵を残す手術をしました。その後、経過が悪く10月上旬下腿切断に至りました。
3回の手術は肉体的にも精神的にもしんどいはずです。
下腿切断を渋ったのも70歳を超え、義足という新しいものを使いこなすことができるのか、訓練について行けるのかという心配がすごく強かったのだろうと推測しています。
今の状態は、本人が願った状態ではないのですが、今後少しでも本人が望む生き方に近づけるよう応援したいと思っています。

現在、慎重に経過を観察してます。

下腿切断に伴う手続き

本人には喪失感もあり幻肢痛も心配される所ですが、今は家族視点で。

これまでの切断と違い、色々用意をするもの決めなくてはいけないことがありました。

すぐに決めて動かなくては行けなかったのは切った部分の火葬について。

今後考えなくてはいけないのは、回復後の義足とリハビリについて。(リハビリは専門病院への転院前提なので)

火葬の方は、病院で処理をお願いすることも出来ます。
その場合医療廃棄物として扱われるようですが本人が拒んだため、居住地の火葬場に問い合わせをする所から始まります。手術の終わる時間がわかったら仮予約をしました。
予約以外にも骨は持って帰るのか?など手続きの確認があり、申請書を入手し主治医にそれ用の診断書をお願いする必要がありました。

自分で火葬する場合、包む白布と入れるもの(木の箱や段ボール)を用意します。
ホームセンターの日曜大工サービスに頼んで作ってもらうか、自分で作ります。うちは父が作りました。

あれこれ感情の部分

父に対して感情が揺さぶられてました。
父は悲観的なことそういった感情を直視したくない所があると思います。

ヘビーな手続きとか丸投げなんですよね。

私は市外で働いてるので、火葬場に申請書を取りに行くのとか行って欲しいんですけど、いちいち引っ掛かることを言われ→→言い返しの結局自分も相手も傷つく展開に。

手を変え、関わり方を変え、最終受け入れてくれて良かったと思います。

 

母がいずれ歳を重ねれば介護が必要になることは頭では理解していましたが、そのタイミングが今年であり、今であることは今も戸惑いがあります。
2月には一緒に外出していて、3月の半ばまでは歩いていたんですよね。

本当に悪化のスピードが早く、起こっていることに右往左往しました。

いまは、今後の経過が順調であることをひたすら願っています。